三亿日元抢劫事件是1968年12月10日发生在日本东京都府中市的一次现金抢劫事件。至今犯人尚未捕获。此案已经过了时效。犯人作案手法巧妙成为日本历史上最神秘的案件之一,被人们视为完美犯罪。去除货币贬值因素也是日本迄今为止被盗金额最大的案件。

案发地点,府中监狱的围墙附近(摄于2009年)
事件经过
1968年(昭和43年)12月6日日本信托银行(现在的三菱UFJ信托银行)国分寺支行经理收到一封恐吓信。信中要求银行派一名女职员在第二天(12月7日)下午5点前将300万日元送到指定地点。否则就炸掉该经理的家。当天警方在犯人指定的地点布置了50名警员,然而犯人并没有出现。
4天后的(12月10日)早上9点30分左右,一辆日产运钞车装着2亿9430万7500日元由日本信托银行国分寺支行出发前往东京芝浦电气(现在的东芝)府中工厂。这些钱是工人的年终奖,被分别装在三个保险箱中。当运钞车经过府中监狱后面府中市荣町学苑路的时候被一名骑摩托车的男“警察”拦下。
运钞车司机打开车窗问发生了什么情况,男“警察”回答“你们银行巢鸭分行行长的家被人放了炸弹,刚接到通知你们这辆车也有问题,要检查一下”。运钞车上的人都知道4天前的恐吓信事件于是都下了车。男子爬上运钞车后引燃藏在身上的烟雾弹,大叫“要爆炸了,快逃啊”,然后驾驶运钞车在众目睽睽之下扬长而去。
正当银行职员们赞叹“警察”果敢举动的时候,突然发现“警察”留在现场的摩托车不大对劲,这才知道受骗上当了[1]。
9点50分除了伊豆小笠原群岛以外东京都全域进入紧急状态追捕犯人。每年这天是年底特别警戒的头一天,因此警力都分散部署在市内各个重要场所,当初没有料到犯人会在途中换车,经过一整天的盘查没有发现犯人的踪迹。
这次被抢金额达3亿日元(2亿9430万7500日元)是当时抢劫犯罪涉案金额最高的一次[2]。此后涉案金额也有超过3亿日元[3],但是根据1968年的物价水平,那时候的3亿日元相当于现在的(2010年)20到30亿日元,所以从价值上来讲无出其右。而且其后长达7年的追查还花去了9亿日元。
虽然俗称三亿日元抢劫事件,但是在日本法律中这次属于盗窃而不是抢劫。
1975年(昭和50年)12月10日,超过刑事诉讼时效年限(7年)。1988年(昭和63年)12月10日,超过民事诉讼时效年限(20年)。成为日本犯罪史上的一桩无头案。
多摩农协恐吓事件
三亿日元抢劫事件发生前,1968年4月25日到1968年8月22日为止多摩农协(府中也在多摩地区)共计9次收到恐吓如不交钱就会被纵火和放炸弹。从恐吓信的口吻语气特点来看多摩农协恐吓事件和三亿日元抢劫事件是同一个犯人。
6月25日的恐吓信中有“横须贺那桩事是卑怯的行为(よこすかせんはひきょうもん)”。“横须贺那桩事(よこすかせん)”是指恐吓信发出9天前6月16日发生的横须贺线电车爆破事件[4]。
现场遗留品犯人在现场留下作案工具等遗留品共计120件,因此开始警方对于破案十分乐观。然而随着时间推移发现这些遗留品要么是被盗物品,要么是大量生产和贩卖的物品,对破案的进展起不到任何作用。
第一现场
府中市荣町府中刑务所北面。三亿日元就是在这里被抢。
雅马哈运动型350R1
假冒的警用摩托。于1968年11月19日至20日间被盗。当时警用摩托都是本田产,不存在雅马哈的警用摩托。摩托原本是蓝色。从被盗到发现为止开了428公里。把手和车鞍部有涂错油漆后擦拭过的痕迹。
鸭舌帽
在现场发现的外套里有一顶鸭舌帽,被认为是犯人的物品。本来根据分析帽子上的汗液可以查明犯人的血型,可是由于开始过于乐观,警察争相戴着取乐造成无法提取物证。这种鸭舌帽在立川市的帽子店一共被卖掉54个,追查到其中36个帽子的买主,还有18个找不到下落。
扩音喇叭
假摩托上挂了一个扩音喇叭来冒充警察用的扩音机。根据编号查明同批产品共5个,其中4个下落确定,最后1个在东村山市的施工现场被盗。
饼干盒
假摩托上还放了个饼干盒用来冒充文件盒。其实警察用文件盒在普通的摩托车店也有出售,可是罪犯选用了和真文件盒相差颇大的饼干盒用来冒充。结合前面提到的摩托涂装错误而导致擦拭痕迹来看犯人对警用摩托不是很熟悉。饼干盒是明治商事生产,产量为3万个,因此无法查找来源。有人据此推测犯人喜欢吃甜食。
烟雾弹
烟雾弹是“High Freia 5”,在加油站都有卖,事件发生为止共卖掉4190个。
磁铁
用来把烟雾弹固定在现金运送车上。烟雾弹周围绕上了铜线,由于铜线没有什么磁性结果烟雾弹掉在地上。磁铁由大平制作所共生产了43240个。
报纸
扩音喇叭被涂了2层白漆。搜查中毫无进展的某天突然发现粘在扩音喇叭上4mm大小的报纸碎片。经调查是1968年12月6日产经新闻晨刊主妇专栏“食品信息”标题“品”字的右下方一部分。纸张是爱媛县伊予三岛市大王制纸工厂生产。
这份报纸有13,485户订阅,分归12个发送点。花了2年时间终于找到了特定发送点,然而订阅纪录已经销毁线索中断。
红色卡卡还没出场?赶上直播了?
别急,还没上场。。。。。。。。
第二现场
运钞车被遗弃在国分寺市西元町武藏国分寺迹的橡树林中。事件发生前有人看到一辆深红色卡罗拉停在这里,因此判断犯人拿走运钞车中的保险箱后换乘深红色卡罗拉逃跑。
第三现场
府中市荣町明星学苑高中附近的空地。犯人在实施犯罪前用雨衣把假摩托藏在这里。
雨披
深红色的雨披。盖在假摩托上后,直接被扔在地上。
案发第2天被公开,生产这种雨披的公司1958年倒闭,雨披是10年前生产。
雨披袖口内侧有熨斗熨过的痕迹。领子上有洗衣店的标记的痕迹。
第1辆卡罗拉
绿色的卡罗拉(车牌:多摩5め3863)。11月30日至12月1日被盗。

(模拟图,摘自“[卡罗拉编年史] 什么?我开的居然是……皇冠?!”
http://club.autohome.com.cn/bbs/thread-c-526-11386737-7.html#pid211962518 )
第四现场
小金井市本町团地停车场。案件发生4个月后,犯人在第二现场换乘的红色卡罗拉在这里被发现。现场还找到了空的保险箱。犯人可能在这里把现金从保险箱中拿走,但是团地停车场人多眼杂也可能是在别的地方把钱取出后将车和保险箱丢弃在此。这里还发现了其他一些被盗车辆。
第2辆卡罗拉
犯人抢走运钞车后换乘的红色卡罗拉,戏称为“多摩五郎”(车牌:多摩5ろ3519)。事件发生前被人在第二现场目击。警方在事件发生后一直在寻找这辆车。车被盖着车衣所以一直到4个月后才被发现。空保险箱被扔在车里,根据航空自卫队的航空照片红色卡罗拉在事件发生第2天就一直停在那里。
保险箱上的泥土
对保险箱上的泥土所作精密分析表明,这些泥土来自距现场4公里的国分寺市恋洼杂木林,农林省林业试验场的鉴定认为这些泥土和第二现场土壌接近。因此推断犯人在恋洼附近有藏身之处,但是大规模搜查之后还是一无所获。
本田摩托DREAM
1968年11月9日被盗。这种车型是警用摩托的车型,所以判断犯人当初想改装这辆车。被盗后只有开了60公里,车主说这辆车有跳火的问题。估计犯人因此而放弃改造。
其他3辆被盗车
第2辆卡罗拉以外还停放着其他3辆被盗车分别都是不同型号的日产天际线。车都盖着车衣因此很难被发现。1971年(昭和46年)警察委托工科学者额田严鉴定,发现车衣打结方法不同。因此得出是集团犯罪的结论[5]。
赌博用品
其中一辆被盗车(Prince SkyLine 2000GT)中发现两本赛马杂志和体育报,府中东京竞马场附近咖啡店的火柴,平和岛赛艇的广告。这些都不是原来车主的东西。由此可见犯人喜欢赛马和赛艇。
女人的耳环
被盗车(Prince SkyLine 1500)中发现女人的耳环。这也不是车主的东西,所以怀疑犯罪人员中有女人或者同性恋者。
恐吓信
送到银行的恐吓信上的邮票是用唾液粘上去的,鉴定结果犯人是B型血型。恐吓信里面的字用杂志上的字拼凑,这份杂志后来被用来包烟雾弹。
多摩农协的恐吓信与日本信托银行的恐吓信,语气上有如下相似点。
使用“ウンテンシャ(汉字为运转者,意思是司机)”
“イマ一度の机会(现在是一生一次的机会)”,日语一般不使用运转者,而使用运转手。
喜欢在词句之间加上空格。
强调之处使用点线记号(“●―●―●”)。
使用俺们,我们,说明罪犯可能不是一个人。
使用电信公司相关人员用语“コン柱オキバ(电线杆子)”,而日语一般使用电柱。
都提到多摩农协某职员的车牌。
恐吓信和包烟雾弹的两本杂志是电波科学和近代映画。起先警察从这两种杂志的阅读对象着手。电波科学的内容是电视机装配和电器改造,而近代映画主要是文艺内容。同时喜欢阅读这两种杂志的很难查找。恐吓信上的字是从线路图上抠下,线路图是装配电视最重要的部分,因此判断罪犯并不喜欢电子技术。最后得出结论犯人为了扰乱搜查有意买了两本风牛马不相及的杂志。
事件发生后有人提供了如下目击报告。

搜查活动
12月21日警方公布罪犯的模拟像。模拟像是根据嫌疑人(后述的少年S)的照片制作,而不是根据当事人的描述制作。当事的4名银行职员此时已经见过少年S的容貌,所以很可能有先入为主想当然的可能。

结果1974年调整了方针认为即使不像模拟像也可能是犯人。1974年正式废除了这张模拟像。然后报章书籍仍然不断引用这张模拟像。

嫌疑人名单里共有11万人,协助调查的警员更达到破纪录的17万人。可是罪犯仍旧没有被抓到。
现场附近的三多摩地区是学生集聚地区,警方实施逐家访问。当时在东京都立府中高等学校上学的高田纯次和布施明也在11万嫌疑人当中。两人都和事件没有关联。

对现场遗留物品进行指纹取样,由于指纹太多,而核对指纹的警员只有3名,最后没有取得成果。
警察公布了被盗款2000张500日元钞票的号码。可是这些钞票没有发现在市面上流通。

被害和影响
日本的保险公司对银行作了赔偿,其他的保险公司作了联保。府中工厂的工人也在犯罪发生后的第二天就领到年终奖。此后日本企业意识到使用现金发放工资奖金是很危险的,所以将工资奖金发放改为银行划账。银行方面也加强了现金运送的安全措施,增加了保安人员。

三億円事件(1968)
三億円事件(1968)
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この事件の真相は1000年代が終わろうとしている今もまだ謎のままです。
1968年(昭和43年)12月10日9時25分頃、東京府中刑務所横の、北側外塀監視所
のそばで、東芝府中工場の従業員のボーナス、2億9430万7500円の現金をのせ
た、日本信託銀行国分寺支店の現金輸送車(セドリック)が白バイの警官に
停止を命じられました。
警官は「現金輸送車に爆弾が仕掛けられたという電話があったので調べます」
と言って、乗っていた銀行の係員4人を降ろし、車の下に潜り込みます。し
ばらくのち警官は慌てて出てきて「爆発する。危険だから下がって」と叫び
ます。車の前の方から赤い炎が吹き出すのが見えました。
4人が刑務所の壁のあたりまで下がると、警官は運転席に乗り込み、車をス
タートさせました。4人は車を安全な所へ移動させるのかと思って眺めてい
ましたが、車はそのまま走り去り、見えなくなってしまいました。その時4
人は初めてこれが何か自分たちが思っていたこととは違うことに気が付きま
した。
一人が、すぐそばの刑務所監視所に向かって「現金輸送車が盗まれた!」と
叫び、それを聞いた刑務所職員が110番通報。警視庁はただちに緊急配備
を敷きましたが、事件から1時間後、問題のセドリックは約2.5km離れた場所
で発見されました。
その後、目撃者の情報から犯人が白いカローラに乗り換えたことが分かり、
警察はこのカローラを探しましたが、数日後、これも乗り捨てられているの
を発見されました。犯人は結局セドリックからカローラ、そしてその後の逃
走用の車と10分単位程度で乗り継いで逃げていたのです。その後犯人の行方
はようとして知れず、そのまま7年後時効になってしまいました。
犯人が使用した白バイに見せたバイク、逃走に使用したカローラはいづれも
盗難車でした。当初バイクを白バイに見えるように塗装するのは、専門的な
技術が必要なのではないかと、自動車塗装関係者がかなり調べられましたが、
その後実際の塗装技術は素人の腕であったことが分析の結果明らかになりま
した。(なお、犯人が見せた炎は発煙筒を焚いたものでした)
現金輸送のスケジュールをよく知っていたことから銀行の関係者、オートバ
イ・車をたくみに操り現場付近の地理に精通していたことからその付近のカ
ーマニア、などなど実に多くの人々が取り調べられましたが、犯人の見当は
全く付きませんでした。
数年後に1度だけ、一人の青年が別件(マンホールのふたを盗んだ容疑)で
逮捕され取り調べられ、マスコミが騒然となったこともありますが、結局彼
は無実でした。
当時、この事件が世に与えた衝撃は激しいものでした。その大胆かつ巧みな
手口も素晴らしいものでしたが、当時3億円というのは、まさにとてつもな
いお金でした。この事件の数年前に有名な「吉展ちゃん誘拐事件」が起きた
時、犯人が要求した金額は50万円です。
この盗まれた現金は新札であったため、番号が控えられていました。警察は
そのナンバーの紙幣が出てきたらそこから何とかたどろうと待っていました
が、結局この番号は1枚も出てきませんでした。つまり犯人は盗んだ3億円
を全く使わなかったことになります。
この事件は強盗ではなく、窃盗になります。
ナイフでも突きつけて「金を出せ」と脅して奪ったのなら、奪った金額がた
とえ100円でも強盗になって罪は重いですが、この事件の犯人は銀行員の
虚を突いて現金を奪っていったわけで、何らの危害も加えていませんので、
強盗よりずっと罪の軽い窃盗になります。
犯人は白バイのヘルメットをかぶっていたため、その容貌もよくわかりませ
んでした。この事件から7年間、全国の交番やお風呂屋さんに、ヘルメット
をかぶったモンタージュ写真が張り出されていました。(この頃はお風呂屋
さんが最も多くの人の目に触れる場所でした)この事件は「モンタージュ」
という言葉と「カローラ」という車を有名にしました。
警察の必死の捜査にも関わらず犯人が全く浮かんでこないため、巷では色々
と無責任な犯人像の想像も行われました。曰く、左翼の過激派が資金作りの
ためにやったのではないか。曰く、売れない推理作家が自分の考えたトリッ
クが可能かどうか実験したのではないか。これを題材にしたテレビドラマや
推理小説も多数発表されていますが、実際の犯人はそういったドラマや小説
の中の犯人よりずっと賢く行動したようです。
この事件は昭和の事件史の中で最大のミステリーのひとつとして残されるこ
とになりました。
「時効の日はさすがに疲れが出て,睡眠薬に頼らなければ寝られなかった。・・・翌日、いつものように剣道をしていたが、突然,天井が回ってきて入院したほどだった。・・・刑事警察はわずか3年の経験だったが、三億円事件はなんとしても忘れられない事件の一つだ。」
・・・・こう述懐したのは、事件発生当時の警視庁刑事部長で、時効のときに警視総監だった土田国保氏である。

1968(昭和43)年12月10日、東京・府中市で三億円事件が発生した。戦後最高の被害額〈今の貨幣価値にして10億円以上)と騒がれたこの事件に,当時「1億総探偵」のように犯人探しをした人たちも次々に起こる大事件・大事故に次第に記憶も薄れ、いまではほぼ完全に忘れ去られてしまった。
何年振りかで事件現場を歩いてみても,住宅の建設ラッシュで落ち着きの無かった当時の面影はどこにもない。犯行の舞台となった半径数キロの範囲は,高度経済成長の真っ只中で過疎の都心に対して過密のいわゆる「ドーナッツ化現象」が起きていた。しかし,現金輸送車を狙った類似の事件は,その後も後を経たず、今後また同じような事件が起きたら果たして防げるのか,はなはだ心もとない。不況下のボーナスシーズンを前に,金融関係者に改めて注意を喚起したい。
◆犯行はわずか3分間
私自身、当日現場に駆けつけた一人だった。その後,数か月間この事件と付き合ったのだが、だんだん計画的な犯行であることがわかってきた。ここで金融犯罪のケーススタディとして少し長めになるが,事件の概要を振り返ってみよう。
1968(昭和43)年12月10日午前9時21分ごろ、東京・府中市の府中刑務所裏の学苑通りで、東芝府中工場の従業員4千数百人に支払うボーナスおよそ三億円(正確には2億9430万円)を乗せた日本信託銀行国分寺支店(2001・3閉店)の現金輸送車(セドリック)が白バイを装った男に車ごと奪われた。
東芝府中工場にはそれまで取引銀行だった三菱銀行国分寺支店から給料やボーナスが運ばれていたが、奪われた現金は、日本信託銀行国分寺支店が顧客サービスとして一人一人のボーナス袋に袋詰めすることを条件に、この日初めて請け負ったものだった。
犯行の手口はきわめて計画的で、4日前の支店長宅宛ての脅迫状(300万円要求。現金授受指定場所に犯人現われず。風呂敷同封。)が伏線なっていたため、現金輸送車に乗っていた運転手ら4人の銀行員は男が警察官かどうかを疑う間もなく,犯行はわずか3分間の出来事だった。人身に被害はなかった。
警視庁は府中警察署に捜査本部を設置し、犯人はその年の春から続いた多磨農協脅迫事件の犯人と同一と見て、銀行関係,東芝関係,退職警察官など13万7000人余りを対象に捜査した。しかし、初動捜査の失敗や六十数点の遺留品の捜査に振り回され犯人像がつかめないまま、7年後の昭和50年暮れ、強盗,窃盗,詐欺の刑法上の時効を迎えた。奪われた三億円は、外国の保険会社から支払われ、国内で損をしたものはいない。その後、民法上の時効も成立して、たとえ犯人が現れても損害賠償の請求が出来なくなった。

◆各紙、国会記事を押し退け一面トップ
事件発生の日の新聞各紙はいずれも、その日召集された第60回臨時国会のニュースを押し退けて、夕刊一面トップで大きく伝えた。A紙は一面に本記を載せ 社会面も見開きで、「ギャング映画そのまま」「危ない!車に爆弾が・・・」「警官スタイルの犯人、工員らを遠ざける」「史上最高の被害額」といった見出しが出ている。あまりにも鮮やかな犯行に,一報を聞いたときには誰もが『まさか』と口にするほど,信じられない事件だった。それだけにこの事件はセンセーショナルに伝えられ、発生直後は日本中、「1億総探偵」のような関心の高さを見せ、捜査本部への情報提供は膨大な数にのぼった。
このとき、取材記者の間で真っ先にあがったのは、「過激派グループの仕業ではないか」という声だった。学園紛争が多発していたのと犯人が若かったと伝えられていたからである。また、どこかの政治結社か団体の資金稼ぎ説、暗い世相を吹き飛ばそうとする「ねずみ小僧」説、銀行,東芝の内部説、退職警察官説、チンピラ説と実に様々な想定問答が行われた。たいていの場合、事実は単純で、意外に難しい推理小説の愛好家は迷路に踏み込んで先が見えなくなるのがオチなのだが・・・。
◆土砂降りの雨,犯人にツキ
この事件の場合、初めのころは、犯人が遺留品などの手がかりを沢山残していたので、捕まるのは時間の問題だと思われていた。それが迷宮入りに終わったのは、おかしな言い方になるが、何よりも犯人のほうにツキがあった。犯行時、25ミリという土砂降りの雨が降ることなど、いくら犯人が知能犯で計画的だったとしても予想は出来まい。好運?な犯人に対して、警察は初動捜査の段階でつまずいた。
事件から4か月後の4月9日、現金三億円を抜き取った空のジュラルミンのトランクを載せたカローラが小金井市の団地で発見された。犯行当日、警視庁が全署に緊急配備をする前に、犯人はすでにその発見現場に車を乗り捨てていたと推定されている。
もう一つ重大なミスリードがあった。それはあの目元の涼しげな犯人のモンタージュ写真である。発生直後から、4年以上の間、警察の見方は「犯人は複数、年齢18歳~25,6歳,モンタージュに似ていること」だった。
ところが、『三億円強奪事件』(勁文社1975)の著書である平塚八兵衛元警視(故人)が前線指揮官になった5年後の昭和48年ごろから、捜査方針は180度変更された。つまり、犯人は単独犯で家族持ち。年齢は新しい捜査方針を打ち出した時点で36~37歳前後。モンタージュは19歳の少年の写真を元に製作したので、これにはこだわらないことになった。要するに、皆目、犯人像がつかめていなかった。その上、指紋も満足なものは採れていない。これでは犯人が捕まるわけがない。

◆別件逮捕で人権問題
こうしたなか、捜査本部は誤認逮捕という取り返しのつかない重大な間違いを犯した。土田国保元警視総監は、私のラジオ番組でのインタビューに「極めて残念なことだった。」と反省の弁を述べた後、「新聞があす朝刊に載せるというので、それなら仕方がない。身柄を取っておこうとなった。」と釈明していた。
嫌疑人
犯人到底是单独还是团伙行动到现在还是个谜。调查中重点有下面的嫌疑人。
立川组的少年
立川组是当时立川市的少年窃车团伙(立川市在府中市西面)。
少年S
立川组的小头目。当时19岁。
被怀疑理由
偷车的方法和发现的被盗车上的痕迹吻合。
熟悉当地地形,懂得汽车和摩托车的驾驶。
和1968年3月在立川市一家超市用烟雾弹抢劫的犯人关系很好。
(当时只有开车的人才知道如何购入和使用烟雾弹,三亿日元事件也使用同种烟雾弹。)
其父正是骑摩托的警察,因此有警用摩托的知识。
除了家人的证词以外无法提供不在场证明。
事发前说过要抢劫东芝或日立的运钞车。
但是,也有不符合的地方,如果是单独犯罪少年S就被排除。
血型是A,恐吓信贴邮票的血型是B。
和恐吓信上的笔迹不同。
多摩农协恐吓事件中恐吓信是8月25日寄出,这天他在少教所。
少年S案发5天后(1968年12月15日)在家中服用父亲买来得氢化钾自杀。熟悉他的人都不认为他会自杀。包氢化钾的报纸上只有S本人和他父亲的指纹。
自杀后第二天,警察将当事的4个银行职员带到S家里辨别面容。4人全部说S长得很像嫌疑人。据此1968年の12月21日警方以S的照片为蓝本公布了模拟像。
但是最后警方排除了S作案的可能。
少年Z立川组成员。当时18岁。
怀疑理由,1,2,3和少年S相同。案发后变得很阔绰。买了新车开了公司。然而Z的血型是AB,笔迹也和恐吓信上的不一样。
1975年警察在刑事诉讼时效前逮捕了Z,但是由于证据不足在刑事诉讼时效前被释放。
男同性恋K少年S的朋友,不是立川组成员。当时30岁左右。
除了S的亲人是事发当天唯一对S作证的人。根据K的证词S事发2~3天前到事发当日一直和K在新宿的公寓过夜,事发当天早上8点离开。离开时间是根据天亮的程度并没有看表,外面下着雨,忘记了有没有把雨伞或者雨披借给他。K还说认识S是事件发生的20天前,然而家里却摆着夏天和S一起旅行拍的照片。
事件发生一年之后,K移居国外,并在当地开了商场。再次回到日本后买了数栋公寓,事件七年后买了豪宅。
如果K是罪犯一员的话,S在少教所时寄出的恐吓信,现场附近目击到的30岁男子,被盗车中留下的耳环就有了合理解释。
但是经过调查警方也排除了K的作案嫌疑。据K自己说在国外发达是因为找到了有钱的靠山。
府中市的司机K当时25岁。熟悉当地环境,血型也是B,会打字,从他写给朋友的信中发现和威胁信相似的口吻,但是笔迹不同。因为长相和模拟像酷似所以从嫌疑人名单12,301位脱颖而出。
事件发生1年后的1969年12月12日,毎日新闻记者对警方的采访中,警方透露了K,但是强调笔迹不同。但是各家媒体迅速作了报道。警方怕嫌疑人逃跑,不得不马上逮捕了K。由于毫无证据第二天K被释放。
K因此失去了工作。并且一直受到歧视而不断调换工作。2008年9月自杀[8]。可以说K是这个事件中唯一的受害者。
日野市三兄弟在日野市经营电器公司。当时分别是31岁,29岁,26岁。家里有个大车库能够改装摩托车。老二熟悉摩托车在不良组织中。做过招牌能够喷漆,事发前买了装有烟雾弹的新车。兄弟中事发前也有人戴过鸭舌帽。但是车上的烟雾弹和鸭舌帽和犯罪现场找到的不同。警察搜查了三兄弟的家证明和事件没有瓜葛。
房地产公司职员男性,当时32岁。事发前缺钱,事发后手头宽裕。
有在东芝府中上班的经历,姐姐在东芝府中工作了12年。本人很会开车,长得又很像模拟像中的人。但是事发当天从杉并区前往横浜途中。钱多也是因为在房地产买卖中赚了1600万日元。最后也被排除。
公司职员P三亿日元事件发生前的1955年也运用类似的手法抢劫千代田区一家银行的运钞车后被捕。P出狱曾经说过花一年时间干一桩大事情,三亿日元事件后他也买进了土地和进口车。经过调查钱也是通过房地产经营的合法收入。P移民夏威夷后病死。
自称犯人的人
时效成立后一些人自称这次抢劫事件是自己所为。经过甄别这些人都不是真正的罪犯,目的有的是为了出名,有的是为了卖书,还有的为了诈骗。
犯人在使用烟雾弹的时候发生了故障,结果犯人用特殊的方式才使烟雾弹发烟,还有保险箱中除了现金和奖金袋之外还放了其他东西。使用何种方式使烟雾弹发烟和保险箱中所放的其他东西只有真的犯人才知道。
哪搞来这都
好像金田 一
游客
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